四十住さくら「“怖楽しい!”が、スケートボードを続ける原動力」。
小学校6年生からスケートボードをはじめた四十住さくらさんは、「スケートボードが好き」という気持ちを原動力に滑り続け、2018年に出場した世界選手権・南京大会で金メダルを獲得。さらに、2021年夏の大会スケートボード女子パークでも金メダルを獲得し、今や世界中が注目する選手に。
ケガがつきものの競技で、アクシデントに負けず、挑戦し続ける四十住さん。日常生活を送る上でも見習いたいそのポジティブな精神力が、どのように培われたのかを伺いました。
「次は優勝したい」と、スケートボードに本気で向き合うようになった。
──小6(12歳)のころに、お兄さんの影響でスケートボードをはじめたそうですが、初めてスケートボードに触れたときのことを覚えていますか?
それが、全然覚えていないんです。お兄ちゃんがスケートボードをしている姿を見て、「一緒に遊びたい」と思って。遊び道具としてスケートボードをもらったことは覚えています。でも、スケートボードに乗るのが怖かったとか、楽しかったとか、転んだとか、そういう記憶が何にもない(笑)。日に日にできることが増えて、楽しくなっていったことは覚えています。
──そうだったんですね。スケートボードを本気でやろうと思ったきっかけを教えてください。
はじめて1年経つか経たないかの中1のころ、「優勝できる」と思った大会で、準優勝だったんです。「次は優勝したい」と思ったことがきっかけで、本気で向き合いはじめました。地元にはスケートボードパークがなかったので、県外のパークに毎日通うようになって。
──そのパークでは、お母さまが作成した厳しいメニューをこなしていたそうですね。お母さまは四十住さんにスケートボードを止めさせようとして、あえて厳しいメニューをつくったそうですが、実際大変でしたか?
当時は、スケートボードを止めさせるためのメニューだなんてことは知らなかったんです。「メニュー=目標」を毎日クリアするために練習していたら、できることがどんどん増えていって、楽しいだけでした。あとから「止めさせるためのメニューだった」と聞いて驚きました(笑)。
どんなに準備をしても、ケガをするときはする。
──スケートボードは常にケガと隣り合わせのイメージです。
そうですね。実は今、靭帯を痛めています。練習中にコケて、着地で膝をひねって、そのまま膝の後十字靭帯(こうじゅうじじんたい)を部分断裂してしまいました。今は復活して、やっと滑れるようになってきたんですけどね。
中3のときに脳振盪(のうしんとう)にもなりました。元日に、4メートルのハーフパイプから落ちて、頭を打って……。あと、私はしたことはないんですけど、骨折は、スケーターの間でよく聞くケガです。
──ケガから復帰されているとのことで安心しました。滑れない時期は、どんな心境で、どんな過ごし方をしていましたか?
とにかく「滑りたい」と思っていました。でも思うだけなので、友達のスケートボードを見たり、X Games(世界最高峰のアクションスポーツの国際競技会)を見たり、常にスケートボードの近くにはいた気がします。少しアプローチは違いますが、X Games選手への取材も経験させてもらいました。
自分が好きでやっているだけだし、団体競技でもないし。チームに所属するようなスポーツ選手が感じてしまうであろう責任とかはないんで、焦りはなかったです。誰かに負けないようにではなく、「スケートボードが好きだから早く滑れるようになるといいな」と思うだけでした。
──なるべく滑れない期間は短くしたいですね。ケガをしにくい体にすることや、ケガに遭う確率を下げることは、可能なのでしょうか?