25歳で卵巣腫瘍を摘出。“シンディ”こと桑原茉萌の闘病体験記。
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人に相談しにくい女性特有の不調――。不安を抱えつつも、「まだ若いから大丈夫」「この程度の違和感は普通」などと自分に言い聞かせ、目を背けていませんか? でも……18歳でも卵巣腫瘍になると聞いたら? 肥大した腫瘍は大きさ30センチ、重さ3キロにもなると知ったら?
これは、動画配信サービスの恋愛リアリティー番組に参加していたタレントの“シンディ”こと桑原茉萌さんが経験したホントの話。桑原さんは現在25歳ながら、これまでに二度の卵巣腫瘍の摘出手術を経験し、さらに現在は子宮頚部軽度異形成の経過観察中。こうした自らの病気についてSNSやブログを通じて積極的に発信し、早期発見の大切さを訴えています。
そんな桑原さんに、死を覚悟した18歳の闘病話から現在進行形で続く病気とのつきあい方まで、真っすぐに語っていただきました。
症状は、体育の授業中や笑ったときの「尿もれ」くらいでした。
――18歳のとき、卵巣腫瘍が見つかったきっかけを教えてください。
高校3年生の夏に40度近い熱が出て、ひどい便秘になったんです。そのとき、姉がおなかをマッサージしてくれて、右の下腹部にしこりがあるのを見つけてくれたんです。
その後も数日、病院に行かずに放置していたら、話を聞いた母の友達が「すぐに医者に行きなさい!」って。病院で検査をした結果、30センチの腫瘍が見つかりました。
――それ以前に、体に異変はなかったのですか?
ジムに通って運動をしていたのに、体重がまったく減らないのが不思議だったことと、あとは尿もれですね。高校生になってから、体育の授業中や、休み時間に友達としゃべって大笑いをすると、尿もれするようになったんです。変だなと思いつつ、生理痛や不正出血もなかったので「そういうこともあるのかな」くらいの感覚でした。
――18歳で卵巣の病気なんて、疑いもしないと思います。
しこりがあるからと病院に行ったときですら、風邪だろうと思っていました。それが、採血とレントゲンを終えて待っていたら、看護師さんが慌てて私と母のところにやってきて。
診察室の扉をあけると、先生がレントゲンを見ながら、母に「どうしてこんな大きさになるまで気づかなかったんですか!」って怒っていました。
その光景を見て最初はびっくりしたんですけど、だんだん「私、死んじゃうの?」って、怖くなってきて。同時に「文化祭に参加できないのかなぁ」とか、病気と関係ないことを考えたり。たぶん、ものすごく混乱していたんだと思います。
――その後、手術をされたんですね。
急いで手術をしたほうがよかったのですが、30センチの腫瘍というのは異例だったようで、受け入れ先の病院がなかなか見つからなかったんです。ようやく3つ目に相談した病院が引き受けてくれました。
腫瘍の大きさから考えると卵巣を全摘出するのがよかったみたいですが、将来的に子どもが欲しいという希望もあって、腫瘍だけを切除して卵巣を戻す手術を選択。おなかに小さな穴をあけて行う「腹腔鏡手術」をしました。結果的におなかに残った手術痕は最小限で、下着で隠れる程度だったのはうれしかったです。
一度目の手術は無事に成功。でも、昨年5月に卵巣腫瘍が再び見つかりました。
――手術は無事に終わったんですね。
そうなんですが……術後がとにかく痛くて。腫瘍がなくなり、これまで圧迫されていた内臓が、もともとあるべき位置に戻ろうと動くんです。それが痛いし、気持ち悪いし。苦痛すぎて、3日~4日間は過呼吸で酸素マスク生活でした。
さらに悪いことに、手術箇所から出血をしてしまい、細菌感染症になってしまったんです。先生からは再手術の可能性もあると言われて。「絶対にいや!」「再手術するくらいなら死んでもいい!」と泣きながら言っていたと、あとになって母から聞きました。
――ご自身では覚えていないんですね。
つらすぎて、記憶がところどころ曖昧なんです。ただ、なんとか再手術はせずに済みました。
――それが18歳のときで、2022年5月に卵巣腫瘍が再発して二度目の手術を受けていますね。
再発の可能性があることはわかっていました。そのため、18歳で手術をしてからずっと、最低でも3か月に1回は検診を受けて経過観察をしていたんです。
ただ、当時出演していた恋愛リアリティー番組の撮影もあって検診の期間があいてしまって。久しぶりに病院に行ったら、前回と同じところに卵巣腫瘍ができ、8センチほどになっていたんです。「想定していたより大きくなっているから手術したほうがいい」と言われて、2022年の5月に二度目の手術をすることにしました。
――手術と術後の痛みはいかがでしたか?
1回目の手術・入院に比べればぜんぜん! かすり傷かってぐらい(笑)。傷口も小さいですし、回復のスピードもぜんぜん違って、手術の翌日には動けました。腫瘍が小さいうちに手術ができたからなんですよね。検診で早期発見することの大切さを、あらためて感じました。
――卵巣腫瘍に加え、子宮頚部異形成も見つかっているんですね。
子宮頚部異形成は、経過観察中です。21歳のとき、卵巣腫瘍の定期検診のついでに子宮頚がんの検診を受けてみたら、子宮頚部異形成が見つかったんです。
そのときも、絶望的な気持ちになりました。あんなにつらい思いを乗り越えてきたのに、どうしてまたこんなことが起こるんだろう……って負のループに入りました。
――子宮頚部異形成はがんになる前の状態であって、「がん」の診断ではありません。それでも、心配ですよね。
「がん」ではありませんでしたが、先生から「がん」という言葉を聞いたときは、やっぱりショックを受けました。ただ、いちばん怖かったのが、「子どもが産めなくなるかもしれない」ことでした。そのときはまだ、正しい知識をもっていなくて、ただただ、両親に泣きながら電話することぐらいしかできませんでした。病気を知ることは不安を取り除くためにも大切だと、今は強く思います。
お金・セカンドオピニオン・高額療養費の手続き方法まで。医療保険と付加サービスに助けられました。
――卵巣腫瘍の入院・手術でかかった費用について教えていただけますか?
18歳のときの入院・手術費用は親が負担してくれて……いくらかかったのかわからないんです。
2022年に受けた2回目については、7日間の入院と手術で約6万5,000円。それに、個室利用料が10万円ほどプラスされ、ほか諸費用などが加わって、請求金額は全部で約17万円でした。これは健康保険・高額療養費制度適用後の自己負担額です。
――医療保険には入っていたのですか?
20歳のときに、自分で医療保険に入ったんです。もし万が一、卵巣腫瘍が再発したときに、次は自分で払えるように備えておこうという気持ちがあって。
ただ、私は18歳のときに入院・手術をしているので、医療保険に加入してしばらくは、手術や入院をしても給付金が出ない期間(※)というのがありまして。
――傷病歴によっては、医療保険の加入に条件が付く場合がありますよね。
特別条件(部位不担保期間)が2022年5月までありましたが、二度目の手術をしたのは、その部位不担保期間が終了した直後だったので、給付金を受け取ることができたんです。特定の女性特有の疾病による入院で入院給付金がプラスされる特約を付加していたので、合計18万5,000円の給付金を受け取りました。YouTubeの撮影もあって個室病室を使ったのですが、その個室利用料の支払いに充てることができました。
(※)部位不担保が付く場合に設けられる「不担保期間」のこと。
――医療保険に助けられましたね。
お金の面ではもちろんなんですが、保険会社の担当の方にはいろいろ教えていただいて、本当にありがたかったです。セカンドオピニオンのことを教えてくれたり、医療機関や薬局の窓口で支払う医療費が1か月(暦月:1日から末日まで)で上限額を超えた場合、その超えた額を支給する「高額療養費制度」を受けるために必要な限度額適用認定証の申請手続きの仕方を詳しく説明してくれたり。
実際に入院・手術をしたときに、保険会社がどういう動きをしてくれるのかを体験すると、医療保険ってものすごく便利で、ありがたいものだとわかりますね。
若くても、検診は絶対に受けてほしいです。
――病気のことを公表し、SNSで積極的に発信していますね。
2回目の卵巣腫瘍の手術を終え、YouTubeやInstagramで発信するようになりました。Instagramで病気のことを書くと、閲覧数が普段の3倍くらいに伸びるので、関心は高いのだと思います。ただ、Instagramのストーリーズだと、寄せられた質問もそれに対する回答も24時間で消えてしまう。これだと自分が伝えたいことがちゃんと伝わらない、記録として残して読み返せるようにしたいと思い、ブログもはじめたんです。
――病気を公表することに葛藤はありませんでしたか?
もちろん、ありました。病気の話は繊細な話題だし、暗い話になりがちです。人前に出る仕事をしていて、そのことをわざわざ発表するのはよくないんじゃないかと思うこともありました。バッシングみたいなものもやはり、ありますし。
でも、実際に発信してみると、体の悩み、特に女性特有の病気については、まわりに言えずに1人で抱え込んでいる方がたくさんいる。それに気づかされて、背中を押されました。
――苦しみや悩みを共有できる仲間がいると、安心できますよね。
同じ病気を乗り越えた方から「子どもを産んでます」ってメッセージをいただいたりして、私自身が励まされています。「誰かを助けたい」「誰かの力になりたい」とはじめたことですが、むしろ、私がいちばん救われているのかも。「1人じゃない」と思えるし、それが活動を続けるモチベーションになっていますね。
――同世代の女性へのメッセージをお願いします。
「自治体からのがん検診の案内は絶対に無視しないで!」と思います。私自身、病気を経験するまで、病院は何かあってから行くものだと思っていました。でも、何かあってからでは遅い。私自身がそうだったのですが、特に若いうちは「自分は大丈夫!」って思い込んでしまいがち。でも、絶対に自分だけは大丈夫なんてことはないし、病気は他人事ではありません。検診を受けることで救える生命は確実にあると思います。
――最後に桑原さんの暮らしの中で、「保険」のような支えになっているものはありますか?
「備え」という意味では、「次の病院の予約」です。ほとんどの方が病院の予約が入っているとどんよりすると思うんですが、私は「あぁ、健康状態がチェックできる!」と思うんです(笑)。自分の体のことは、実は自分でもわかりません。そして早期発見は本当に大事。そのことは、誰よりもよく知っていますから。
桑原 茉萌
1997年、宮城県生まれ。六本木のショークラブ・バーレスク東京でダンサーの“シンディ”として活躍したのち、現在はインフルエンサー・タレントとして活躍。これまでに卵巣腫瘍で2回手術を経験。経過観察中の子宮頚部軽度異形成とともに自らの病気を公表し、情報を発信している。
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