29歳で早期リタイア。世界を旅してたどり着いたのは熊本だった。
静岡県出身の川村侑未さんは、大学卒業後から勤めていた東京の会社を2019年、29歳で退社。そののち退職金を元手に海外と国内を巡り、熊本県宇城市小川町で出会った人と町並みに誘われて2020年に移住しました。2021年の春にはゲストハウス〈イズミヤ〉をオープン。縁もゆかりもない移住先に腰を据え、東京では得られなかった充実の日々を送りつつ、今後の貯蓄方法にも関心を抱きはじめています。
せわしなく毎日が過ぎ去る東京からの脱出。
6年ほど勤めた会社を退社したのは2019年7月、川村侑未さんが29歳のときでした。毎日仕事に追われ、「一度東京から離れ、しばらく場所に縛られないのんびりとした生活をしたい」と、退社を決意したのです。
「計画しての退社ではありませんでしたし、在職時は休みのたびに大好きな海外旅行にも行っていたので預貯金はそれほどありませんでした。ただ、あまり焦りはなかったんです。東京の家を引き払って静岡の実家を拠点にしたのですが、それだけで出ていくお金はかなり減りましたから」
出費を極力抑えて、川村さんは退職金を元手に国内外を旅することに。年末にかけて中東やヨーロッパで3か月を過ごし、その後は定額で全国の拠点に宿泊できるサービス「ADDress」を利用して日本各地を転々としました。
「旅行中には知人のいるドイツにワーキングホリデーに行こうという思いも生まれていました。しばらく海外で生活をしてみたいという思いがあり、フリーランスになったことでそれが叶うかな、と。“出発は2020年の夏ごろに!” と心づもりをしていたのですが、コロナ禍が本格化してしまって……どうしようかなと考えていたときに、「ADDress」を利用して訪れた熊本の楽しかった時間や、そこで出会った古民家の〈風の館 塩屋〉を思い出し、もう一度訪れてみたくなったんです」
川村さんが熊本に滞在したのは、2019年12月と2020年2月に1週間ずつ。場所は熊本市内から南へ1時間弱のドライブで着く宇城市小川町でした。人口1万3,000人ほど(令和2年の国勢調査より)の小さな町で、主産業は農業。年を追うごとに少子高齢化が進み、空き家も増えていると言います。
過疎の町でゲストハウスのオーナーに。
熊本の「ADDress」の拠点は築100年超の日本家屋。車通りの多い県道沿いにありました。
「そこには2万冊を超える古書が並ぶライブラリースペースがあり、大家さんの那須信明さん(トップ画像・右)や、管理人で同世代の大池早代さんがよく声をかけてくれて。そのおかげで私も含め利用者は地元の人とスムーズに交流できる環境だったんです」
明治39年に建てられた古民家〈風の館 塩屋〉について教えてくれたのも那須さんと大池さんでした。
「〈風の館 塩屋〉は私が宿泊していた日本家屋のすぐ隣にある、旧商家の岩崎家が建てた町屋なんです。風情があってとても素敵で、だからこそそれほど活用されていない状況にもったいなさを感じました。コロナ禍で海外行きを断念したときに芽生えたのが、“ここで何かしたい、ゲストハウスができないかな”という気持ちだったんです」
しかし2020年の夏にみたび熊本入りした際、〈風の館 塩屋〉が有形文化財として国に登録される運びとなっている状況を知り、目的を断念することに。ただ「ゲストハウスを営みたい」という思いを周囲に語ったことで、思わぬニュースが舞い込みます。
「有機農家の森田加代子さんが“小川町に住むならウチが空いてるよ”と声をかけてくださったんです。実際に中を見せてもらうと、DIYで手を加えれば問題なくゲストハウスができそうだと感じました。しかも家賃は月2万円。“好きにしていいよ”という森田さんの言葉に感謝して、移り住むことを決心しました」
それから川村さんは、1か月もしないうちに小川町に腰を据えました。そして2021年の春、半年ほどの準備期間を経てゲストハウス〈イズミヤ〉をオープン。開業にあたって必要な修繕はDIYでおこない、地域の人に古材をもらったり、リサイクルショップで購入することで出費を抑えました。のちに知った県の「民泊事業者による感染防止対策等支援補助金」にも申請。この補助金では対象経費の3/4が上限120万円まで交付されることから、感染症対策として宿泊客同士の接触を避けるために2階の水回りを増設し、テーブルやチェアを買い足すなど現在も改装を進めています。一方、バックパッカーなどの長期旅行者を想定して、民泊仲介サービス「Airbnb」の登録を早々に済ませ、ショップカードを全国各地のゲストハウスに置いてもらい、利用者を増やそうとしています。
「小川町の周辺地域は、今ではすっかり人通りも少なくなってしまいましたが、歴史的には交易の要衝でした。かつて宿場町として栄え、江戸時代には参勤交代のルートもあったそうです。篤姫も泊まったそうですよ。九州の中心部にあるので、現在も福岡から南下する人や鹿児島から北上する人、熊本市街と阿蘇や高千穂方面を行き交う人が交差する場所になっていて、〈イズミヤ〉も目的地を目指す旅行者たちの交差点になればいいなと思っているんです」
経営の安定を最優先させ、未来へ。
移住して1年と少し。川村さんのはつらつとした笑顔から感じるのは、この地で得た充足感です。
「家を改装するといえばいろんな人が手伝ってくれるし、“持っていきなさい”とか“これ、お裾分けね”と食材を分けてくれる方もいます。こうした人との触れ合いは、東京ではなかなか経験できなかったので、とても楽しいですね。それにここへ来て、夢を共有できる人たちとも出会えました」
なかでも、この町に移住するきっかけとなった大池さん、そして彼女を通じて出会った地元の地域振興に携わる同世代の坂田純一さん(トップ画像・左)との交流は、小川町での時間を一層豊かなものにしてくれています。「3人は古いものが好きなところが似ている」ため、小川町に多く残る築100年超の家屋を活用していきたいという価値観を共有。「バックパックを背負った外国の人や、いろんな人に訪れてもらえる町づくりをしていきたい」と、〈風の館 塩屋〉を管理するための一般社団法人化を目指すなど、力を合わせて新しい光景をつくり出そうとしています。
「収入は会社員のころに比べて減りましたが、支出も減ったので手元に残るお金はそう変わりません。2万円の家賃や光熱費といったゲストハウスの諸経費も、それほど負担になっていないんです。それより私にとって大切な変化は、やりたいことが明確になったからか、今とても満たされていること。退職時には“仕事がなくなったらどうしよう”といった思いもありましたが、最近は“不安はいつも付きまとうもの”と開き直っています(笑)」
地域の人に温かくサポートされながら、自分の居場所を得た川村さん。前だけを見据え、目下の課題は〈イズミヤ〉の経営安定化による事業収入の増加。さらに残った時間で大池さんや坂田さんたちと〈塩屋〉の活用法を考えて収益化し、自身の収入を安定させていきたいと考えます。そして余剰資金を持ち、資産形成への意識を強めていきたいとも。
「1つの仕事で生活をしていくことには、会社員だったころでさえリスクを感じていました。そのため、まだNISAや株のような資産形成には手が回っていませんが、私の30代は収入源を増やすことをテーマにしたいと思っているんです。そうして資金面を安定させることで小川町での試みを成功させて、40代ではほかの地域にも拠点を設けていきたいですね」
夢は小川町を本拠に国内外に拠点を築くこと。世界を巡ることで抱けた目標へ、川村さんは今歩みはじめています。
取材・文/小山内隆 写真/三浦咲恵
川村 侑未
ゲストハウス〈イズミヤ〉経営、翻訳家
静岡県出身。神戸大学卒業、東京にある出版系の会社に就職。6年ほど勤め、2019年に退社。翌年、熊本県宇城市小川町へ移住。フリーランスとして翻訳業を営む一方、2021年の春にホスト住み込み型のゲストハウス〈イズミヤ〉をオープン。
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