(前編)ナイツ つまずき続きの20代。逆境の中でつかんだ最強の武器。
幅広い年代からの人気を誇る実力派漫才コンビ・ナイツ。浅草の寄席で培った漫才の技術を土台に、今やテレビやラジオで大活躍中です。コンビ結成から21年、これまでの道のりは決して平坦ではなかったよう。インタビュー前編では、コンビを結成した直後に訪れた危機、そしてデビュー後思わぬ方向へ進んでいった芸人としてのキャリアについてなど、20代で体験した試練について伺います。
コンビ結成直後に起こしたバイク事故で、思い描いていたプランが崩れた。
──大学の先輩後輩だったお2人がコンビを結成したのが2000年。その直後に、塙さんがバイクの事故で大ケガを負ってしまったんですよね。そのときのお2人の心境は?
土屋:当時、僕は大学4年生。まわりの友人たちが就職活動をしているなか、僕は塙さんに誘われて芸人になることを選んだわけです。だから、いわば「就職した矢先に会社が倒産してしまった」という感覚。いきなり「芸人としてやっていけるのか」という壁にぶつかったようなショックはありました。この先どうなるのかが見えないっていう不安はありましたけれど、就職活動をしている友達もある意味同じ状況なわけです。芸人になることはもう決心していたので、ひたすら塙さんの回復を祈ってました。
塙:僕はとにかく焦りましたね。思い描いていた人生プランにまったく想定外のことが起きてしまった、という感じ。自分が子どものころにテレビで観ていたダウンタウンさんとかウッチャンナンチャンさん、とんねるずさんとか、売れてる人ってみんな26歳くらいでテレビの冠番組を持つって言われてたんですよ。俺たちも26歳までに売れるぞってなんとなく思っていたのが、いきなり出遅れてしまった。早くデビューしないとっていう思いが先走って、リハビリにもあまり身が入りませんでしたね。
──1年後、塙さんがケガから回復してデビューしたものの、すぐには芽が出ず。そこへ追い打ちをかけるような出来事が待っていたんですよね。