(前編)ヒロシ 道なき道を切り開いたらこんな場所に立っていた。
ソロキャンプブームの火付け役として活躍中のヒロシさん。これまでコンビ解散、ピン芸人としてのブレイク、芸能事務所設立など、起伏の激しい芸能生活を送ってきました。近著『ヒロシの日めくり 人生、ソロキャンプ』の中で「人生を四季にたとえると俺はもう秋」と綴っている彼は、やがて「冬」を迎えるにあたり、どのような心構えで日々を過ごしているのでしょうか。その生き方からは、後悔しない人生を過ごすための1つのヒントが見えてきました。
ビートたけしさんへの憧れから芸人に。
──ヒロシさんが芸人を目指したきっかけは?
小学校3年生くらいかな。ツービートを好きになったんです。破天荒な漫才をやるイメージで、ビートたけしさんに憧れていました。なんとなく自分も芸人になりたいなって思うようになったのは、モテたい、お金持ちになりたい、有名になりたい、だいたいそんな理由ですね。
──実際にやってみようと一歩踏み出したのはいつごろですか?
19歳です。友達と3人で九州のお笑い大会のオーディションを受けたのが最初です。予選で落ちましたけど。その大会は毎年やっていたから、2~3回オーディションを受けたのかな。最後は1人で受けて、もちろん落ちたんですが、主催の方に「お笑いやりたい人は事務所に来てください」と声をかけられて、23歳のときに福岡の吉本興業に入りました。
──最初は福岡で活動されていたんですね。
そうです。そこでコンビを組んで26歳のときに吉本興業を離れて上京しました。福岡ではほとんど仕事がなくて、東京に行けばなんとかなるかもしれない、と。でも、上京しても全然ダメでした。まず、お笑いライブに出るまでに壁があるんです。「ネタ見せ」と呼ばれるオーディションを何百組もの人たちが受けて、ライブに出られるのが10組ぐらい。そのライブで上位の成績を残したグループだけが芸能事務所に所属できるというのが当時の主流でした。それでなかなか結果が出せず、このままじゃ売れないと思ったんで、毎日何時から何時まで練習するというスケジュール表をつくったんです。それを相方に見せたら「そんなものにつきあえない。もう辞める」と言われてしまいました。やっぱり人生かかってますからね。そのときに「辞めないで」とは言えなかったです。そこから1人になりました。
──ピン芸人になるまでにホストをされていた時期もあったそうですね。
はい、コンビを解散してから3年くらいホストをやっていました。ただ、芸人を辞めるつもりはなく、興味本位ではじめたら時間が経ってしまったという。それでピン芸人として活動を再開したときに、とにかく売れる要素の詰まったネタを書こうと、ひたすら考えた末にできたのが「ヒロシです」のネタでした。あのネタでライブに出まくって、1年後くらいにようやくテレビに出ることができました。
ブレイクによる収入や生活の変化。
──ブレイクを後押しした番組は?
『笑いの金メダル』(テレビ朝日系)だと思います。2004年くらいですかね。司会のくりぃむしちゅーさんと三宅裕司さんにおもしろがってもらい、「来週も出たらいい」と言っていただいたんです。自分のコーナーをつくってもらえたときは、ありがたかったですね。あの番組に出てから、一気にいろんなところから声をかけてもらいました。
──ようやく憧れていた生活を手に入れたわけですね。
でも、仕事が忙しかったタイミングと給料の入金が3~4か月ズレてました。だから入金されるまでは疑ってましたよ。事務所に聞きましたもん。「お金はいつ入ってくるんですか?」って。芸人だけで食っていける収入は月に30万円だと思ってがんばってきたから、最初に30万円を超えたときはうれしかったですね。これでやっとバイトを辞められるって。
──以前出演された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)では、最高月収が4,000万円あったというお話をされていました。売れたあとは生活を安定させるために貯金などはしましたか?
いや、あまり気にせず使ってました。だって、安定を求めていたら芸人にはならないですよ。普通の幸せを捨てる覚悟ではじめてますから。ただ、最初は売れることを目指していたので収入が増えて楽しかったんですが、だんだんキツくなってきてしまって。
──何がキツかったのでしょうか?
毎日ネタをつくるのも大変だったんですが、テレビに出るためには“おもしろトーク”もやらなきゃいけなくて、僕の場合は大勢の中でそれをやるのが本当に苦手でした。そんな状態が3~4年続いて、これはもう限界だ、と。実力以上のところまで行ってしまったんでしょうね。自分の気持ちと求められるもののギャップがどんどん大きくなっていって、「これ、やっていて意味あるのかな?」と思ってしまって。自分から事務所に「もうテレビには出ません」と伝えて、そこからまた収入が下がっていきました。
ソロキャンプは自分が主役になれる楽しさがある。
──テレビの仕事をセーブされてから数年後、2015年には個人事務所を立ち上げ、YouTubeチャンネルも開設されました。そんななかでソロキャンプの動画が話題になり、今やソロキャンプブームの立役者として引っ張りだこです。
もともと小学生のころからキャンプをやっていて、好きだったんです。でも、芸人をはじめたころはお金も時間もなくて全然行けなくて。再び行くようになったのは、お金と時間に余裕ができてからなんですが、これがもう楽しくて。ただのキャンプではなく、ソロキャンプのいいところは、全部自分の思いどおりにいくところ。人と一緒に何かをやるというのが苦手な人にとっては、自分が主役になれる楽しさがあります。
──『ヒロシの日めくり 人生、ソロキャンプ』の中にも「普段は脇役でもソロキャンプでは俺が主役」「道なき道を行く」といった言葉が出てきますね。
就職せずに芸人になったのも、事務所を立ち上げたのも、「道なき道を行く」ですね。どうやったら芸人になれるのかわからないままにはじめて、ツテもないから自分で事務所に電話して、ネタを見てもらって。僕に限らず、芸人は自分がやるネタを自分でつくらなきゃいけないから、道を切り開いていく人が多いんです。険しい道を選ぶと、自分が想像していなかった結果があるわけですよ。その代わりに給料の安定はないという。人生って、険しい道か、安定した道か、そのどちらを選ぶかだけだと思うんです。と、今の時点では思っています。
インタビュー後編では、最近山を購入されたヒロシさんに、その目的や、老後に対する心構えなどをうかがいました。資産形成や将来の安定について考えていることとは?
文/遠藤敏文 写真/草場雄介
ヒロシ
1972年生まれ、熊本県出身。九州産業大学卒業後、芸人の道へ。2004年、ピン芸人として「ヒロシです」のフレーズではじまる自虐ネタでブレイク。2015年3月にYouTubeチャンネル『ヒロシちゃんねる』を開設後、ソロキャンプ動画を配信して人気を集める。2021年9月にソロキャンプをテーマにした日めくりカレンダー『ヒロシの日めくり 人生、ソロキャンプ』(学研プラス)を発売した。2021年12月現在、『ヒロシのひとりキャンプのすすめ』(熊本朝日放送)、『ヒロシのぼっちキャンプ』(BS-TBS)などに出演中。
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