矢方美紀(元SKE48) がん患者だからこそ実感する、世間とのズレ。
アイドルとして活躍していた矢方美紀さんは、25歳で乳がんが見つかり、今も治療や検査を続けています。AYA世代のがん*体験は今特に注目を集め、テレビ番組などで紹介されたり、ブログや本を通して情報が発信されたりして、多くの人が勇気づけられています。がんになって人生がどう変わり、これからどう生きていきたいのか、未来への展望を語っていただきました。
*AYA世代のがん:「国立がん研究センターがん情報サービス」AYA世代の人へ
どうして私が乳がんに? 私は死ぬの?
──25歳といえば、AYA世代です。乳がんがわかったきっかけは?
小林麻央さんのニュースがきっかけです。「若年性乳がん」という言葉を聞いて、自分の年齢にも当てはまることを知り、検診の対象年齢ではないけれど、セルフチェックくらいはしてみようかな? という気持ちになりました。それで、左胸にしこりを見つけたんです。
でも、病院に行こうと思って電話をしても混んでいて予約がとれず、痛くないからまだいいかなと迷っていたんですね。心配した知り合いに、引きずられる勢いで病院に連れていかれました。そうしたら結果は、まさかの乳がん! 「ステージⅠ」でした。
こんなに元気なのになぜ? と信じられず、私にとってがんを受け入れることはとてもつらいことでした。さらに、その後の治療や検査を経て「ステージⅢA」だということがわかり、相当ショックを受けました。
自分の場合は「若年性」というのもあって、早く対処しないとどんどん悪化してしまうのではないかと思い込んでいたんですよね。迷っている時間がなかったというのが正直なところです。手術日も早く決めなきゃいけなかったし、手術後の抗がん剤や放射線治療なども、医師に勧められたものをきちんとやっていこうというのは決めていました。
──乳房再建*しないことを選択しましたね。どうしてですか?
担当の医師からは、部分切除も可能だけど、全摘手術のほうがいいかもしれない、と説明を受けました。最初は、体にあるのが当たり前だと思っていた胸が片方だけになるなんて無理、人に見られたときにどう思われるんだろう、全摘は嫌だなと思っていました。全摘後の再建手術も勧められ、いろいろ調べてみたら、すごくきれいに乳房が再建できることもわかりましたが、がんの手術後にまた体を切ることになるので、やはりすごく悩みました。
でも、手術後、胸がなくても急に命が失われたり、声が出なくなるわけでもない。服を着たら他人には見えないし、ある意味、普通に過ごせるのではないかと、だんだん思えてきたんです。だったら、再建しなくてもいいかな、と。たとえ片方の胸を失っても、自分が自分でなくなるわけではないし、このことを受け入れるしかないと、気持ちが変わっていきました。胸がなくてできないことはなかったんです。
*乳房再建:「国立がん研究センターがん情報サービス」再建手術
──卵子凍結も選ばなかったんですね。
病気をきっかけに、乳がんと妊よう性*が深く関係することを初めて知りました。将来、自分が子どもを産みたいと思ったときに、本当に産めるのかという不安はあります。でも、10年後に自分が妊娠できるかどうかは病気に関係なく100%ではないし、そのときにパートナーがいるかどうかもわからない。それなら、今、目の前の悩みを解決していったほうが自分の心にとっても体にとっても、負荷はないのかなと思いました。
*妊よう性:「国立がん研究センターがん情報サービス」妊よう性