マシンガンズ・滝沢「副業のゴミ清掃が、芸人としての新たな気づきをくれた」。
お笑いコンビ、マシンガンズの滝沢秀一さんは、芸人でありながら、「ごみ研究家」として、食品ロスやゴミ問題などをテーマとした執筆・講演活動に取り組んでいます。昨年には、ドイツの新聞で紹介されたことをきっかけに、クーリエ・ジャポンの「2023年に世界のメディアが注目した日本人100人」にも選出されました。その活動への認知は国外にも広がりつつあります。
滝沢さんがゴミについて発信するきっかけとなったのは、芸人の副業としてはじめたゴミ清掃員の仕事。ごみ研究家としての仕事が拡大した今でも、週1回は清掃員の仕事を続けているそうです。副業から人生を好転させた滝沢さんに、副業をはじめたきっかけ、本業と副業の理想的な在り方、副業のメリットなど、副業についていろいろとお話を伺いました。
副業という「逃げ道」が本業を助けてくれた。
──芸人として活動しながら、ゴミ清掃員の仕事をはじめたきっかけは何だったのでしょうか?
芸人の仕事はずっとしていたんですけれど、食べられない時期が長く続いていました。15年くらい前にショートネタブーム(※)があって、当時はテレビに出させてもらったり、地方の営業に行ったりで4年~5年くらいは食べられていたんですが、それ以外の時期は稼げていなかったんです。
アルバイトも、居酒屋とか看板持ちとかいろいろしましたよ。ただどれも長続きはしませんでした。お笑いをやっていると突発的にオーディションが入ることがあって、仕事も急に休まなければいけない。それで職場に居づらくなって辞めてしまうんです。
ゴミ清掃員の仕事をはじめたのは36歳のときです。妻が妊娠して、お金を稼がないといけなくなったんですけれど、35歳を過ぎるとアルバイトの面接もなかなか受からない。9社ぐらい面接で落ちましたが、友達の口利きでようやくゴミ清掃の会社に就職することができました。定期収入があるだけでなく、シフトの融通がきくのも、芸人としてはありがたかったですね。
※ 2007年~2014年まで放送されていた『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)で、芸人が次々登場して短いネタを披露。この番組がきっかけとなりショートネタがブームとなった。
──当時は、どれくらい働いていたんですか?
芸人としてライブなどの仕事もしながら、ゴミ清掃員は週5日~6日くらいしていました。月収も25万円くらいあったかな。
でも個人的には金額よりも、お金を家庭に入れればお笑いが続けられる、というのが大きかったです。だから就職当時は「仕事が見つかって、ラッキー」としか思ってなかったんですが、人間贅沢なもので(笑)。本当はお笑いに注力したいものですから、段々と「いつまでこんな仕事をやっているのかな」みたいな気持ちになっていきましたね。
──ゴミ清掃の仕事で大変だったことは何ですか?
まず、ハードワーク。ゴミを集めて集積所から集積所へと走るわけなんですけれど、夏は立っているだけで熱中症になりそうですし、冬は雪が降ることもありますし、台風の日も回収しなければいけないし。
それでもなんとか仕事を終えて帰宅したら、風呂に入って、子どもを迎えに行って、そのままライブに向かい、帰ってごはんを作って食べて、また翌朝5時に起きてゴミ回収に……と、そんな日々でしたね。
家庭やお笑いの仕事に支障が出ないよう、ゴミ清掃の仕事も、力の入れ具合をコントロールして体力を消耗しすぎないようにする、という工夫を覚えていきました。
──想像しただけでもつらさが伝わってきます。精神面で大変だったことはありましたか?
ゴミの回収が遅れると「この税金泥棒!」と近隣住民に怒られたり、道端で「ゴミ屋はどけよ」と言われたり、いわゆる職業差別を受けることがつらかったですね。コロナ禍で「清掃崩壊」の危機が叫ばれたときに、ようやく僕らの仕事も認められるようになったんですけれど、それでもまだまだ差別をされることはありますよ。
──逆に、清掃員の副業をはじめて、収入面以外でよかったことはありましたか?